夜、という時間が昔からずっと好きです。
ゲゲゲの妖怪たちも、ピーターパンも、サンタクロースも、千と千尋の神隠しのような不思議な世界への入り口も皆、夜の時間に姿を現すと相場が決まっています。そのような想像の余地が過分にある、夜の時間が大好きなのです。
時々ですが、夜の河原を散歩しています。
夜ごとに姿が変わるのに、いつでも「月」であることに変わりのない輝く球体に、いつでも心が惹かれています。
うすい黄色の輪郭の強い月は、レモンスカッシュを凍らせたよう。ビリリと酸っぱい。
濃い橙の重たい月は、マーマレードジャムをこぼしたよう。どろりと甘い。
日中よく晴れた日の月光は、瞳孔に突き刺してくるかのような鋭さがある。日本酒のよう。キリリと辛い。
都内では星空を肉眼で見ることもなかなか難しいので、恋しくなるとプラネタリウムへ足を運びます。
ドーム型スクリーンに映し出された満天の星空を眺めながら、星の名前、星座の物語を聞き、ただただ身体の力を抜いているとそのまま夜空に落ちていくような感覚に包まれます。演目によってはアロマが焚かれるものもあり、薄暗い場内で、リクライニングシートに倒れこみながら星を見上げて、やさしい香りに包まれる…、毒素や邪気といったものがすうっと夜に溶けだすようです。これが癒しか、と。
そんなふうにして無数の星たちの物語を聞いていると、ふと思うことがあります。
星が宇宙の中のその位置にあることなんて、例えば神様が黒い画用紙に金平糖をこぼしたかのような思いがけないものでしょう。そんな偶然性であろうに、私たち人間はその金平糖の一粒一粒に名前を付け、線でつないで星座を描き、物語を生み出したりしているのです。
ひょんなことから星空を創ってしまった神様から見て、私たち人間はただの偶発的な存在に意味を見つけようとする愚かな生き物でしょうか。それとも日常の中に紛れ込む奇跡に空想を描けるロマンティストでしょうか。
星の名前も星座も、私が夜空から見つけられるのは、夏の大三角で有名なベガ、アルタイル、デネブ、それから砂時計のような形のオリオン座とその肩で赤く輝くペテルギウス、そのくらいです。生まれ星座のみずがめ座なんてどこにあるのか微塵も分かりません。
しかし、夜と私の距離感はそのくらいで丁度いいと思うのです。
星について知識を身に着けて、もっとたくさんの星や星座を描けるようになってしまったら、夜空を見上げると頭の中に感想よりも知識が先行してしまうでしょう。
星を見つけてきれいだなぁと思うくらいで、月を見上げて何かに例えるくらいで。
さて、いつもの河原から見上げる、今日の夜空はどんな姿を見せてくれるでしょうか。
以上、開発管理部でした。
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